日本人が慣れ親しむ甘い餡は六七〇年余り前、林浄因の創意工夫により誕生しました。たとえるなら日本最古のヴィーガン食品。その後、時代を超えて、上生菓子、羊羹等、和菓子のベースとして進化し、塩瀬も時代に応じた餡の形を提案してきました。
私たち塩瀬はこれからも新しい餡の可能性に挑み続けます。
新しい餡への挑戦
饅頭の誕生とともに。たとえるなら、日本最古のヴィーガン食品
もともと中国では肉などを詰めたり、何も入っていない点心として食べられていた饅頭。日本にやってきた浄因が肉食が許されない僧侶も食べられるようにと、小豆を煮詰め饅頭に詰めたことが今日の甘い小豆餡の始まりでした。たとえるなら日本最古のヴィーガン食品。 砂糖は当時とても高級なもので、食用としてではなく薬用として使われ、宮中でのみ手に入る品でした。浄因が宮中に献上したことが砂糖と小豆を結びつけるきっかけとなったのです。
時代とともに移り変わる餡の表現
ある時はおやつ、ある時は名物として、餡は和菓子のベースとして定着しました。
室町時代の「七十一番職人歌合絵」には塩瀬の饅頭の歌が記載され「菜饅頭、砂糖饅頭、いづれもよく蒸して候」と、当時より塩瀬が饅頭の中に込める餡として様々な餡にチャレンジしていたことがわかります。
その後、砂糖が一般的になる江戸時代には和菓子文化が花開き、塩瀬も餡の表現を変えて上生菓子、羊羹等、幅を広げていきました。
餡という魂を包む
「材料落とすな割守れ」代々伝わる格言とともに、一心に餡を炊くところから塩瀬の一日はスタートします。
生き生きとした小豆一粒一粒に魂を吹き込み、手作りの皮で包みこんでいく。六百七十年余り変わらないこの日常の積み重ねが、歴史を作り出してきました。
これからも塩瀬は餡と向き合い、新しい餡の形を提案していきます。林浄因がそうであったように。