2.紅白饅頭と林神社

【中世 室町】饅頭伝来
2.紅白饅頭と林神社

林浄因は結婚に際して、紅白饅頭をつくり、諸方に贈り、そのうちの一組を子孫繁栄を願って大きな丸い石の下に埋めました。これが「饅頭塚」として、漢国神社境内にある林神社の裏に今日まで残されています。今日、嫁入りや祝い事に紅白饅頭を配る風習があるのは、ここより始まるものです。そのため紅白饅頭の文化は関西地方に根強いようです。

 

林浄因は、その後二男二女を授かりました。(このうちの一人が建仁寺両足院の2代目無等以倫です。林家は禅僧文化と近く、両足院の法師でもあった為、様々な文献を執筆し、多くの文章や家系図が現代に残されることとなったのです。詳しくはコラム林家の人々をご参照ください。)

 

事あるたびに京都の徳見禅師のもとを訪れていた浄因でしたが、徳見が亡くなったのち、林浄因はその寂しさに耐えかね、望郷の念に駆られて、妻子を残して中国へ帰ってしまいました。残された妻子は、林浄因が中国に帰国した日を命日と定めて、その後も饅頭作りを続けたと両足院の碑に記載があります。

 

林浄因が商いを行った林小路に隣接した漢国町に漢国神社があります。この境内に饅頭の神様として林浄因を祀った林神社があります。林浄因が中国に帰った4月19日を命日に毎年全国の菓子業会の方々が集まり例大祭が盛大に行われています。これが饅頭祭りです。

 

 

また、林小路町に霊厳院という寺があり、その院内に林浄因を祀った二基の小さな碑があります。「我国饅頭之祖林浄因塚」「饅頭祖林浄因碑」とあり、裏面には当時の饅頭商と思われる発起人の名が連ねてあります。林浄因は古くから饅頭商の間で敬われていたのです。

 

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