塩瀬では6月16日の嘉定の日(現代では和菓子の日)を記念して嘉定饅頭を販売いたします。全国和菓子協会の印入りの紅白薯蕷饅頭で6月14日~16日まで店舗限定で各日10箱販売予定です(本店のみ16箱販売いたします)。
また、江戸時代にふるまわれたという大饅頭を築地塩瀬本店では復刻展示いたします。直径20センチ、重さ約3.5kg、通常の塩瀬饅頭の152個分の超特大サイズの薯蕷饅頭です。6月14日(金)~16日(日)までの展示を予定しております。
また江戸塩瀬の菓子見本帳のレプリカも展示いたします。お手に取ってご覧いただくことも可能です。是非この機会にご覧ください。
【嘉定の日とは】
室町時代末期から江戸時代を通じ毎年6月に行われた行事に「嘉定」「嘉定食い」というものがありました。
嘉祥とも書き、仁明天皇が御神託に基づいて宮中から始まったとも、武門では"勝つ"にも通じるので吉祥として祝い、嘉祥通宝16枚で食物を買って贈答する慣習から始まったともいわれています。
江戸時代には嘉定は民俗としても定着しており、江馬務「日本風俗文化史」によれば6月16日は嘉定と言って5色団子、大饅頭を贈答し、16歳になった男子は額のかどを剃る。これを半元服といいました。
徳川家・江戸幕府ではこの嘉定を最重要儀式の一つとしており、諸大名や旗本らが江戸城に上り大広間で将軍にお祝言上するのが恒例でした。石塚豊芥子の「街談文々集要」によれば、将軍が彼らに与えたのはやはり饅頭だったのです。
「柳営にて調達の御菓子、折敷に杉葉をかいしき、其上に菓子を盛りたるを人々に賜ふ。その菓子は大なる饅頭(5寸余)」とありとても大きな大饅頭だったことがわかります。
当時の江戸塩瀬は将軍家・幕府御用達であるとともに、徳川家の菩提寺である芝・増上寺の御用を一手に引き受けており、開山忌やその他に供える大饅頭は塩瀬が納める習慣になっていました。「洞房語園」や「饅頭賦」にもこの大饅頭の事が記され、また当時の塩瀬当主、塩瀬五左衛門の書物にも「御入国以来引き続き上様より御佳例を奉る」と記載があり文化として根付いていたことがわかります。
古来より饅頭はお祝い事と切っても切り離せない関係だったのです。現代ではこの嘉定の日は「和菓子の日」として全国的に知られるようになりました。
過去の人々の足跡、思いが詰まった歴史というスパイスを感じていただくことで、いつもお召し上がりいただいている和菓子がもっと美味しくなるかもしれません。
かけがえのない人生の思い出。その思い出を彩る大切な贈り物、記念品。ある時は晴れの舞台に。ある時は何気ない日常のお返しに。ある時は心を込めたメッセージに。塩瀬の和菓子はそんな思い出のそばにあり続けます。