東照宮春祭出店のお知らせ

仙台東照宮にて開催される東照宮春祭4月18日(土)・19日(日)で
徳川家康公ゆかりの兜饅頭、そして塩瀬饅頭を販売いたします。

仙台東照宮の春まつりは、宮城県仙台市青葉区の仙台東照宮で開催される例年の行事です。徳川家康公を祀るこの神社は伊達忠宗によって創建され、祭事を通じて地域の安寧や開運が祈願されています。

歴史の偉人が愛した饅頭をこの機会に是非お召し上がりください。

「伊達家と塩瀬のつながりについて」
仙台では饅頭の事を塩瀬といいました。
この背景には伊達家と塩瀬のあるストーリーがあったのです。

俳句誌『霧笛』平成3年12月号に仙台「明石屋」の記載があります。

「明石屋という御用菓子司で、先祖は惣左衛門信吉、姓は柴崎といい、播州兵庫明石左兵衛守の家臣で元和年中(1615-1623)仙台に来て御用菓子司となり、藩祖伊達正宗公に仕え明石の姓を賜わった。それ以後代々御用菓子所を勤め、十四代まで続いたが、昭和二十年七月十日の戦災で焼失し看板を降ろした。

明石屋の有名な菓子は塩瀬まんじゅうといって、伊達家のお殿様のためにのみ作られた”お留菓子“であった。このまんじゅうの由来には興味深いエピソードが秘められている。

伊達家四代君主綱村が江戸麻布邸に隠退してから、ことのほか日本橋の塩瀬まんじゅうを気に入り、ある日家来に命じて作り方を教わりに行かせたが、一子相伝という理由で断わられた。二度目も同様。三度目に切腹覚悟の白装束で訪れたところ、ようやく許された。早速国元に使者を遣わせ、明石屋三代目惣左衛門が江戸に上がり、塩瀬山城方より伝授してもらうことができた。

その際、藩主御用以外の他への寄贈や販売を一切しないという血判による誓約を、明石屋から塩瀬山城に提出している。つまり、必死の覚悟で習い覚えた塩瀬まんじゅうはお殿様一人のための菓子であったのである。

『饅頭博物誌』にも、仙台の塩瀬まんじゅうのことについて次のように記しています。

「参勤交代の影響で江戸の文化と諸藩の文化の交流が盛んになったので、地方にも上等ものが発達した。仙台城下の見聞記『仙台風』に、「落雁ばかりは仙台がよし。糒(ほしいひ、乾飯のこと)も名物なり。玉やの塩瀬は田舎には過ぎた物とぞ」と、この地の名物が記されている。塩瀬とはこのあたりでは饅頭の別名になっていた。玉やとは玉屋三郎兵衛で、この人物は明石屋惣左衛門とともに仙台藩主伊達家の庇護を受けた菓子司である。

「伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ、歌舞伎演目のひとつ)」鶴千代君後の四代藩主綱村のころ、仙台藩の面目を他藩に誇る名菓となったのは、塩瀬まんじゅうが幕府や諸大名への贈り物、あるいは公家、家臣への対外的役割を果たしておったわけで、伊達を競う家風は饅頭にも及び、仙台藩では優秀な饅頭を作る為京都まで菓子屋を特派して技術を学ばせたと伝えられている。これは藩主や藩士が京都のすぐれた饅頭の味を知っていたからであろう。」

塩瀬始祖の林浄因が和菓子の先駆けとして甘い小豆餡とお饅頭を開発したのち、時代を経て参勤交代等で都市部と地方との交流が盛んになった際、塩瀬饅頭をはじめとしてお饅頭が全国に広がっていきました。この出来事がお饅頭と、その中身としての小豆餡を一般化させました(その為小豆を甘く煮詰めたものを餡(饅頭のなかにつまっているもの)と表現するようになりました)。今日の和菓子に欠かせないあんこと様々な小豆餡の和菓子、銘菓が全国的に作られるきっかけとなったのです。

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