沿革

貞和5年(1349)

●初代林浄因が中国より来日、奈良に住し日本で初めて餡入りの饅頭を作り売り出し紫庭に上がる。後村上天皇(1339-1368)より宮女を賜る。男子二人を挙ぐ。(お饅頭の神様として林浄因を祀った林神社があり、現在毎年4月19日饅頭祭りが行われている。)

延文4年(1359)
●龍山和尚示寂の翌年、望郷の情動き、林浄因、妻子を遺し元朝に帰る。
寛正元年(1460)
●この頃五代の孫、長林祥増禅門、惟天盛祐禅門の時、京都・奈良と分家となり、京都に上る。
●後土御門帝(1464-1500)より五七の桐の紋を許される。
●紹祥という者ありて元に遍り、製菓の術を学びて帰る。
応仁元年(1467)
●応仁の乱起こり、京都は灰儘と化したので、三河国設楽郡塩瀬に住す。これより姓を塩瀬と改む。
応仁年間(1467-1476)
●足利義政公(1435-1490)直筆の日本第一番本饅頭所林氏塩瀬の看板を賜る。
文明9年(1477)
応仁の乱漸く終る。このころより再び京都に帰り、塩瀬と称し饅頭屋を営む。この後15代を経る。
●宮中や将軍家に出入りを許され大変繁昌し、塩瀬の住んだ所が饅頭屋町(現在の京都市中京区烏丸通三条下ルのあたり)という地名となる。
延徳3年(1491)
●『蓮成院記録』に饅頭屋次郎の名が出てくるから饅頭屋町の成立も応仁の乱頃までさかのぽり得る。
天正-万治年間(1573-1660)
●豊太閤の寵遇を受け、後水尾院、明正院、後光心国、後西院の各宇常に宮中に召され、後水尾より御辰翰、並びに御製の和歌を賜り「塩瀬山城大橡」と称することを許さる。下って光格天皇(1779-1817)御真筆「祇園午頭天王」の御神号を賜る。
万治2年(1659)
●三月十日、源餐宗需禅門(江戸先祖)の寂年と書かれているので、この頃に江戸に下り、日本橋一丁目に店を出し江戸城の御用を承る。
延宝2年(1674)
●『古事類苑仮名世説』に塩瀬饅頭の名あり。『紫の一本』の名物の項に日本橋一饅頭、笹粽と出ている。
元禄元年(1688)
元禄中江戸園鑑茅場町塩瀬饅頭、日本橋一南一丁目塩瀬饅頭。
●『元禄江戸名物』茅場町塩瀬山城守、江戸霊岸嶋塩瀬山城大橡藤原忠次。
元禄6年(1693)
●塩瀬山城守
享保年間(1716-1735)
●寛延年間(1748-1750)日本橋橘南一丁目塩瀬山城、
塩瀬饅頭と塩瀬袱紗。
天明2年(1782)
●江戸塩瀬主人・林諸鳥小梅の里別荘に万葉歌碑を建つ。花」「古人五百種』等の編書あり。寛政6年6月19日没す。75歳。
寛政10年(1798)
●9月6日京都饅頭屋町の塩瀬九郎右衛門65歳で没する。京都塩瀬家絶家す。
文政7年(1824年)
●「江戸買物獨案内」京橋北一丁目林氏塩瀬。霊岸島林氏塩瀬山城。数寄屋河岸林氏塩瀬宗壽。共に御菓子所と御茶湯袱紗家と書かれている。
天保7年(1836)
●「江戸名物詩選」南博馬町四丁目、塩瀬饅頭、饅頭元祖。蒸立皮如解争買世間下戸人と書かれている。
天保9年(1838)
●霊岸嶋塩瀬五左衛門、『林氏塩瀬山城博来記』を著す。
明治18年(1885)
●「東京流行細見記」京橋元数寄町林氏塩瀬。当主は池田徳兵衛。同年、徳兵衛は甥の仁木準三氏に名跡を譲る。
明治23年(1890)
●「東京買物独案内」京橋元数寄屋町林氏塩瀬
明治32年(1899年)
●「宮内省御用達業者一覧」菓子商仁木準三とある。明治5年よりすでに賜っていた。
明治34年(1901) ●「東京名物誌」京橘本数寄屋町塩瀬。同年仁木準三氏は渡辺トク(渡辺利一の母)に名跡を譲る。

明治40年(1907)

●『東京遊覧案内買物案内」有楽町三丁目塩瀬饅頭。

 明治41年(1908)

●池田徳兵衛没す

大正7年(1918)

●渡辺トクは渡辺利一に名跡を譲る。
●大正10年(1921)2月6日、仁木準三没す。
大正14年(1925)
●品川・来福寺に渡辺利一と渡辺亀次郎が発起人となり、塩瀬会会員一同27軒の協賛により林浄因之碑を建立。
昭和2年(1927)
●有楽町三丁目に二百坪余の五階建のビルを建築する。
昭和3年(1928) ●渡辺利一没す。渡辺亀次郎の代となる。
昭和15年(1940)
●京橋区築地明石町に合資会社京橋塩瀬設立。
昭和26(1951)
●同所に合資会社塩瀬総本家を設立。渡辺亀次郎が社長となる。同年、渡辺亀次郎、宮内省の菊栄親睦会新年宴会出張調整賜る。
昭和25年(1950年)
●渡辺亀次郎、東都のれん会を結成、初代会長となる。
昭和27年(1952年) ●渡辺亀次郎、全日本名流菓子工藝展会長となる。
昭和28年(1953)
●渡辺亀次郎没し、渡辺よしが社長に就任する。
昭和31年(1956)
●渡辺よし、奈良林神社の神殿を新しく建立するため、奈良、京都、その他全国菓子業会と共に協賛する。
昭和43年(1968)
●渡辺よし、中央区明石町に五階建ビルを建築する。関東一円の神社、ホテル、結婚式場四百軒に慶弔用引菓子を納入して業績を延ばす。
昭和55年(1980年)
●二月十二日、渡辺よし没す。川島英子、社長に就任。
昭和57年(1982年) ●林神社に敬神句碑を建立する。
昭和58年(1983年)
●家宝の「日本第一饅頭所林氏塩瀬」の看板を復元する。
●銀座松屋へ出店する。デパートへ出店する最初である。
昭和59年(1984年)
●全国菓子大博覧会東京菓子博で櫻花工芸賞を受ける。
●世界テレビコマーシャル大会ハワイ大会でゴールデンサークル賞を受ける。
●同年、両足院の饅頭屋町塩瀬の墓地を改條し、法要を行う。
昭和61年(1986年)
●中国杭州市に、「日本饅頭之始祖林浄因之記念碑」を建立する。以来、毎年十月に碑の前で日中友好の饅頭まつりを行い、二千個の饅頭を市民に配る。
昭和62年(1986)
●全日本和菓子大品評会農林水産大臣賞を受ける。

平成元年(1989)

●江戸時代、林神社に奉納されていた神馬の痛みがひどいので修復奉納する。
平成2年(1990年)
●江東区新木場に塩瀬総本家新木場工場五階建を建築する。
●同年、中国杭州市対外友好協会より建碑五周年を記念して感謝状を受ける。
平成3年(1991)
●伏見稲荷山の宝山稲荷に大鳥居を奉納する。この宝山稲荷は有楽町時代より屋上に祀られており、現在は当社屋上にある。毎年5月13日に例祭を行っている。
平成5年(1993)
●中国杭州市海外外科技経済交流協会名誉理事に聘請される。
平成7年(1995年)
●中国杭州市・国立公園の中心、西湖孤山にある林和靖の墓地の隣地に「林浄因記念碑」と「浄因亭」を建立。その竣工式と日中友好の菓子交流展示会を開催する。
平成8年(1996年)

●中央区明石町に塩瀬本社ビル八階建を建築する。

●同年、『塩瀬六百五十年のあゆみ まんじゅうの歴史』を出版する。

平成12年(2000年) ●川島一世、社長に就任。