沿革
貞和5年(1349年) | 初代林浄因が中国より来日、奈良に住し日本で初めて餡入りの饅頭を作り売り出しました。この他にお饅頭の神様として林浄因を祀った林神社があり、毎年4月19日饅頭祭りが行われている。 |
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寛正元年(1460年) | 四代惟天盛祐は京都に移り、これより奈良の南家と京都の北家とに別れる。 |
応仁元年(1467年) | 応仁の乱起り京都は灰燼となる。戦火を逃れ三河国塩瀬村に住す。 |
文明九年(1477年) | 漸く応仁の乱が終り、再び京都に戻る、これより屋号を「塩瀬」と名乗る。宮中や将軍家に出入りを許され大変繁昌し、塩瀬の住んだ所が饅頭屋町(現在の京都市中京区烏丸通三条下ルのあたり)という地名となる。 |
万治2年(1659年) | 塩瀬清兵衛が江戸に上り日本橋一丁目に店を出す。江戸城の御用を承る。 |
文政7年(1824年) | 京橋北一丁目、数寄屋河岸、霊岸島、に出店あり。(江戸買物独案内)より |
明治元年(1868年) | 元数寄屋町塩瀬総本店仁木準三が宮内省の御用を拝命する。 |
昭和25年(1950年) | 渡辺亀次郎、合資会社塩瀬総本家を現在地京橋区築地明石町に設立する。 |
昭和55年(1980年) | 川島英子、社長に就任。 |
昭和61年(1986年) | 中国杭州市の西湖の畔で、聚景園の中心に林浄因の記念碑を建立する。 |
平成2年(1990年) | 新木場工場を完成する。 |
平成7年(1995年) | 中国側の許可がおりたため、中国杭州市の西湖国立公園孤山へ林浄因の記念碑を移 転。浄因亭を建立する。(孤山には林浄因の先祖の墓がある) |
平成8年(1996年) | 塩瀬総本家本社新社屋が完成する。 |
平成12年(2000年) | 川島一世、社長に就任。 |